dendenokirokuのブログ

我が家の愛犬でんでの介護記録。

2003年12月13日うまれ

でんでは、兄貴分の絶対的な存在のしょうた(先住犬)にしつけてもらったようなもので


私はのんびりまったり甘やかして育てた。



しっかり者のしょうたは、それはそれはでんでを厳しく、スパルタで躾けた笑



しょうたが亡くなった後、でんでは抜け殻のようで。



いつも自分を叱ってくれるしょうたがいないから、ぽっかり穴が開いたようだった。



もうしょうたはいないのに、まんま皿からまんま(カリカリ)を咥えて

ちょっと離れたとこで隠れて食べる。



しょうたがいたときはしょうたに奪われがちだったから。



その癖が抜けず、いつまでも隠れて食べようとしていた。



私達は取らないよって、笑いながら話してた。



でんでは、子供が苦手だった。



子供は何をするかわからないし、高い声を突然出したり泣いたり叫ぶから。



散歩で会うと、逃げてた。



だけど娘には違った。



娘の口から母乳のにおいがするからか、いつも娘の口のニオイをクンクンしてた。



甘くて、いいにおいだったのかな。



娘が泣くと、必ず娘に自分のおもちゃを持ってくる。


私が娘を叱ると、娘の前に立ちはだかり、私をうるうるキラキラの目で見てきた。



「叱らないで!」



と言わんばかりに。



私より育児が上手なイクメンと化した。

僧帽弁閉鎖不全症と診断

でんでは、今から8年前。


約8歳のときに、お胸もしもし(聴診)をしたときに

心雑音があると言われた。


しかし、治療が必要なレベルでは全然ないとのことと


私がちょうど妊娠、出産で、ワン達の通院が疎かになっていた。(T_T)


重ねて私がバセドウ病に罹患し、1年くらい

しょうたとでんでは私の実家に預けていた。



また一緒に暮らせることになる頃

しょうたは天寿を全うした。



しょうたは私の両親に看取ってもらい、供養してもらった。



しょうたは私の母が大好きだったので

最後は幸せだったと思う。



でんでは私の元に帰ってきた。



まだ赤ちゃんの娘とでんでの天使のようなかわいい時間が始まった。






僧帽弁閉鎖不全は老齢の小型犬での発症が多い心臓の病気で、心臓の左心房と左心室の間に位置する僧帽弁(血液を送り出すために開いたり閉じたりする機能を持つ弁)が、なんらかの原因で変性し、閉鎖不全が生じるために起こる病気です。犬種では特にマルチーズ、ヨークシャー・テリア、シーズー、キャバリアなどに発症が多いといわれています。

でんでの紹介

はじめまして。こんにちは。



愛する我が家のワンコの記録です。



彼はポメラニアン×柴犬のミックス。


2003年〜2004年 12/13 生まれ


16〜17歳


東京で倒産したペットショップが

保護団体に委託して??

里親募集をしていた。


先住の柴犬がいたが、そのペットショップのワンコの写真を見た瞬間から

「この子は。」という気持ちになり

すぐに問い合わせて迎えに行った。


夏場なのに、空調がきいていなかった。

飲み水も切れていた。


生後3ヶ月〜1年近い仔犬たちが

気が狂ったように吠えていた。


里親が見つからなかったら、

保健所に送られるとの事だった。


保護団体の方に彼を連れてきてもらった。


彼は衰弱していて虫が湧いていた。


抱っこした。


「連れて帰ります」


即答だった。



当時、里親の規約は厳しくなく、

今のように細かい制約をする必要はなかったので簡単な書類記入で終了。



彼に段ボール(上あき)に入ってもらい

大事に抱えて帰宅。


すぐに動物病院へ行き、健康診断&予防接種をした。


彼はぷるぷるぷるぷるひたすら震えていた。


うんちを何回も漏らした。


帰宅し、先住の柴犬君とご挨拶。


先住の柴犬君は、私の両親がかわいがってくれていたが、

私が上京する際に連れてきた。



名前はしょうたくん。



しょうたは、かなり慎重な性格の厳格な柴犬だったから、彼を連れてきた際、かなり手厳しく洗礼をしていたな…笑



さて、ポメラニアン×柴犬の可愛いお顔



彼は、ドラゴンボールのナメック星人に似ている


ナメック…


いや。ピッコロ…


呼びにくい。



そうだ!!でんでだ!!





彼を「でんで」と命名した。